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奈良しみんだより平成27年8月号(テキスト版)21ページ ならっ子だより

更新日:2019年11月7日更新 印刷ページ表示

ならっ子だより

ー奈良町って?ー
平安時代、都が京都へ移った後も東大寺・興福寺・元興寺などのお寺が奈良の地に残り、お寺の門前には郷と呼よばれる「まち」がつくられました。平安時代の終わり頃、平氏が勢力を強め、奈良のまちは平重衡に攻められ大きな被害を受けます。その後、鎌倉時代になり、奈良のまちは幕府や朝廷の援助で復興します。江戸時代に入り、郷を改め町の単位が整えられます。これら町全体が奈良町となり、徳川幕府の直轄地として奈良奉行所が治めました。また、当時の奈良は名産である筆や墨、晒、酒などに代表される産業の町として発展しました。明治31年に奈良市が誕生します。現在の奈良町は旧市街地、江戸時代の奈良町の範囲にほぼ重なります。元興寺から東大寺にかけて、伝統的な町家や町並みが数多く残り、近年、奈良町には多くの観光客が訪れ、にぎわいを見せています。
問合せ 奈良町にぎわい課電話番号:0742-24-8936

学校紹介 三碓小学校の巻

本校は現在、奈良市で最も児童数の多い小学校です。休み時間には大勢の児童が運動場で仲良く遊んでいます。校名の「三碓」は、千二百年以上も前に、聖武天皇がこの地に来られ、三つ連なったくぼみのある石を、米をつく石うす「碓」として使っていたところを見て、「三つのからうす」から、「みつがらす」と名づけられたと言われています。この言われとかかわりのある神社やお寺が校区内にあり、地域の人々の願いで、「三碓小学校」という名前で開校されたそうです。本校の総合的な学習の時間には、校名の由来や地域の特色を取とり上げた探求学習「三碓学習」を行っています。なお、本校の放課後子ども教室は「碓っ子クラブ」という名前で呼ばれています。本校は、「学び合い高めあう児童の育成―明るくかしこくたくましく―」という学校教育目標のもと、学力や体力の向上とともに、「より良い児童のかかわり合いをめざした取組をすめているところです。
問合せ 教育政策課電話番号:0742-34-5386

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