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奈良しみんだより平成26年8月号(テキスト版)特集「奈良市から広がるネットワーク(後編)(2~5ページ)

更新日:2019年11月7日更新 印刷ページ表示

古都の歴史が世界をつなぐ―今こそ奈良ができる、国際交流を考える

海外の友好・姉妹都市

慶州市

(韓国・姉妹都市 昭和45年4月15日提携 人口:約26.3万人 面積:1,324.53平方キロメートル)
新羅時代の首都で当時の建造物や文化財が多く残っています。友好・姉妹都市関係を結んでいる奈良・慶州・西安の三市親善体育大会等のスポーツ交流や児童生徒の作品交換等の教育交流、友好代表団の相互訪問等さまざまな分野で交流を行っています。

揚州市

(中国・友好都市 平成22年5月23日提携 人口:約460万人 面積:6,634平方キロメートル)
 唐招提寺を創建した鑑真和上の故郷で、遣隋使や遣唐使が最初に上陸したところです。平城遷都1300年となる平成22年2月に、仲川市長を団長とする友好代表団が揚州市を訪問し、「友好都市提携の覚書」を交わしました。

西安市

(中国・友好都市 昭和49年2月1日提携 人口:約806.9万人 面積:10,108平方キロメートル)
かつて長安と呼ばれた約3000年の歴史を持つ古都です。日中国交正常化以前から、西安市に対し友好都市提携を呼びかけ、日本国内で3番目に中国の都市との提携を実現。平成23年には、西安世界園芸博覧会に県と共同で日本庭園を出展する等、観光PRを行いました。

ベルサイユ市

(フランス・姉妹都市 昭和61年11月14日提携 人口:約8.7万人 面積:26.2平方キローメトル)
世界遺産「ベルサイユ宮殿」があることで有名な観光都市です。薪御能ベルサイユ公演や入江泰吉写真展、ならまちセンターでのベルサイユ美術展等の文化交流や児童・生徒の絵画交換等の教育交流を行っています。

トレド市

(スペイン・姉妹都市 昭和47年9月11日提携 人口:約8.4万人 面積:231.8平方キロメートル)
ヨーロッパで最も古い都市です。16世紀に繁栄し、首都機能が移転してからも古い町並みが保たれています。児童・生徒の作品交換等の教育交流やトレド在住のピアニストを招いてのコンサート等の文化交流を行っています。

キャンベラ市

(オーストラリア・姉妹都市平成5年10月26日提携 人口:約37.4万人 面積:2,358平方キロメートル)
オーストラリアの首都であり政治の中心地です。市内には「キャンベラ奈良平和公園」があります。平成25年度には、姉妹都市提携20周年を記念してキャンベラを訪問し文化交流や清酒のPRを行いました。

奈良時代から現代へ、1300年の時を超えて国際交流の意味、理念について、文学博士で東大寺の長老の森本公誠師と、万葉集研究の第一人者で奈良大学教授の上野誠さんにお聞きします。

奈良としての誇りと役割~古代と現代の国際交流とは~

森本公誠師(東大寺長老・文学博士)
昭和9年生まれ。昭和24年に東大寺に入寺。京都大学文学博士学位取得、その後講師(非常勤)を務める。平成16年5月~19年4月東大寺第218世別当・華厳宗管長を務める。

古代、すでに海外を見ていた奈良

古代の日本を語るうえで、日本という国の地政学上の位置付けが非常に特異であることが重要な要素となるのですが、なかなかこれに気付かれていないのではないでしょうか。
日本は周りを海に囲まれた島国です。古代において多くの国のリーダーは、国が富み安定してくると政治・文化に限界を感じ、遣隋使や遣唐使といった使節団を通じて、新しい思想・文化・国としての仕組み等を周辺諸国から積極的に取り入れたのです。
このようなグローバルな視点をもって政治を行った国のリーダーがこの地にいたということは古代奈良の誇るべき大きな特徴なのです。
奈良は、単に史跡がそこにありそれが素晴らしいというだけでなく、当時の国のリーダーが、諸外国を見据えた上で国の仕組みを考え、民を慈しみ、国の繁栄を願って政治を行ったことで、国としての形ができたといえます。このことはもっと評価されていいのではないでしょうか。

他を理解する―「多様性」の本質

当時の奈良は海外との交流で「多様性」を身につけたと思います。
ただ「多様性」という言葉が本当に意味するところはあまり伝わっていないようにも感じます。
「多様性」とは、単に「さまざまなものが存在している」ということではありません。
例えば私は、仏教を学ぶ中で、なぜイスラム教の勢いは衰えないのか、ということに関心を持ちました。
他の宗教を理解することで自らが持つ仏教思想を客観的に見ることができるからです。賛成意見だけではなく、反対の意見も聞いてみる、その中で価値観を広げ大きな視点で物事を見られるようになることが「多様性」といえるのではないか、と私は考えています。
相手を見て、相手を知り、お互いを認める、「多様性」の本質とはそこにあるように思います。

奈良だからこその国際感覚~万葉集からみる大和の心~

上野誠さん(奈良大学文学部教授)
昭和35年生まれ。国学院大学大学院文学研究科博士課程満期退学博士(文学)国際日本文化研究センター客員教授

「万葉集」と言えば、どんなことを思い浮かべればよいのでしょうか?

「万葉集」の時代は、国際交流が最も華やかな時代でありました。私たちは、奈良時代の大和歌を四五一六首も読むことができるのですが、それは漢字で書かれています。日本人は、漢字を学び、その漢字の音を使って、自分たちが歌っている歌を、書きとどめようとしたんですね。

実に巧みに外国文化を自分たちのものにしたんですね?

そうなんですよ。外国から文化を輸入して、自分たちのものにするというのは、得意なんです。漢字を受け入れて、音を利用して大和言葉を書く。そのうち、カタカナやひらがなを作ってしまう。でも、漢字の学習も忘れない。漢字を学べば、中国の文献が読めますから。

現代の国際交流を考える時、どんな点が参考になりますか?

中国の僧侶の力、インドの僧侶の力、ペルシャ人の技術者の力、ベトナムの僧侶の力、そういう力を結集して、東大寺の大仏開眼会は行われるんですよね。ところが、「万葉集」は、大和言葉で日本人の心を切々と歌っています。国際交流といっても、常に、自分を忘れない人たちなんです。

さまざまな国の人々の力を借りたのですね?

もちろん借りたという側面もあるのですが、外国の人の活動の場を与えたとも考えられますよ。国造り、街造りのためには、外国人であろうが、なかろうが、志ある人と一緒に仕事をしようというのが、奈良時代の人たちなんですよ。

「万葉集」の時代は、遣唐使の時代でもあったと思いますが、遣唐使が学んだものは、何だったのでしょうか?

例えば、山上憶良は、社会の中で、家族や弱者を思いやることの大切さを学んできました。もちろん、土木工学のようなものが中心なのですが、憶良は愛でした。私は、なら100年会館で行なわれた、万葉朗読劇で、そのことを訴えました。

「万葉集」の時代は、まさに国際化の時代だったのですね。

例えば、阿倍仲麻呂は、唐の国務大臣になっています。その仲麻呂が、望郷の想いを込めて歌ったのが、「天の原振り放け見れば春日なる御蓋山に出でし月かも」ですよね。

上野さんは、今後、どのような方法で奈良の良さをアピールしていかれますか?

来年の一月に、なら100年会館で、モーツァルトの「魔笛」を翻案したオペラ「猿沢ノ池不思議ノ横笛」を上演します。(20ページにも関連記事を掲載)翻案は、奈良時代から日本人のお家芸なので、外国の人にも見てもらいたいと思っています。
奈良市は、国際文化観光都市として、国際的な交流を推進しています。
しかし、もともと奈良市は今以上に国際都市なのです。先祖から受け継いだ国際感覚を今こそ発揮するときなのかもしれませんね。

西安市出身で奈良市職員のトシンさんに聞きました。

唐代の長安は真の国際都市で、優秀な人材は国家や民族に関わらず積極的に登用しました。これは、世界に開かれたまちであり、自国に対する自信の表れだと思います。
私は奈良市役所に国際交流員として2年間の任期を終えた後も、この経験を生かして両国の友好交流に取り組みたいと思い、奈良市の職員となりました。
現在の両国の関係は心配ですが、来日する中国人観光客は着実に増えています。多くの中国人が自分の眼で日本を見ることによって、相互理解が深まると考えています。私が中国人観光客のインバウンドに努めたいというのは、このように顔の見える交流を深めていきたいと考えるからです。

奈良市の海外都市間交流

高度経済成長期を迎えた頃、日本の都市と海外の都市との友好・姉妹都市の提携が行われるようになりましたが、これらの多くは欧米との提携でした。そのような中、当時の奈良市は、シルクロードの東の終着点ともいわれ、また古都として歴史を重んじるという立場で、昭和45年に慶州市、昭和49年に西安市と、それぞれ提携を実現させました。
「国を異にし、都市の性格を異にする国民や市民が、互いに交流をはかることによって、親善を深め、友好を固め…(中略)…私はかねてから歴史的観光都市として最も深い関係にある都市との姉妹都市の締結を考えていた」と、当時の鍵田忠三郎市長も述べています。
また、シルクロードの基点である中国の長安(現在の西安市)に対し、日中国交正常化前の昭和44年に親書を送る等していた奈良市は、日本で中国に対して姉妹都市提携の行動を起こした最初の都市といわれています。

奈良市が果たした役割

この慶州市・西安市との友好・姉妹都市提携は、単なる「都市間交流」にとどまりませんでした。
平成4年8月24日に中国と韓国が国交を樹立して以降、当時の大川靖則市長が、西安・慶州両市に友好都市提携を働きかけました。
平成6年11月18日に両市の友好・姉妹都市提携が実現し、西安市での調印式に立会人として出席する等、両国の新たな結びつきを仲介するという、歴
史都市としての大きな役割を果たしました。

歴史都市として新たな提携へ

昭和47年のトレド市、昭和61年ベルサイユ市、平成5年キャンベラ市との姉妹都市の提携を行った後、平成22年、揚州市と友好都市提携しました。
揚州市との提携は、揚州大明寺が、唐招提寺の開山鑑真和上が住職をしていたお寺であり、日中国交正常化以前から、唐招提寺との交流が続けられてきたこと、また古代の揚州は港湾都市で、遣隋使や遣唐使が長安へ向かう際の経由地であったことから実現したものです。

奈良市として「つむぐ」新たな交流

観光都市として「発信する」

*シンガポール・マレーシア
近年観光客数の増加がみられることから、奈良市の文化を広く知り関心をもってもらい、観光需要を喚起し観光客数の更なる増加を図ることを目的として、6月にはシンガポールでセールスコールを行いました。
今年度中にはマレーシアでも観光プロモーションを行う予定です。

*フランス
日仏文化協力90周年を機に、世界の中でも特に「日本文化」に対する興味が深く、また、日本と同様に見た目も美しく繊細な食文化を持つことで知
られるフランスに、「大和茶」と「奈良の日本酒」をブランドとしてPRします。
これを契機に、食を通して奈良の歴史・文化を発信します。

都市間連携

昭和45年に韓国・慶州市との姉妹都市提携に始まった海外との都市間交流は、奈良市の持つ歴史と栄華を誇った天平文化を背景とした、歴史都市としての価値から生まれたものです。
しかし、それは単に古(いにしえ)の都であるということだけではなく、1300年前から他の文化を理解し受け入れるという交流の本質を持ち、「世界に尊敬され、注目される都市」であったことが、大きな要素となっています。
この奈良の価値や素晴らしさを市民の誇りとして再認識し、国家間の外交だけではなく都市間のつながりを深めることが奈良市だからこそできる、「国際交流」なのではないでしょうか。

(問合せ)広報広聴課 電話番号:0742-34-4710

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