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猿沢池の南の南北道路に西面して建つこの町家は、庇上のつしと呼ばれる部分が低いのが特徴で、嘉永七年(安政元年、1854)の地震の後に建てられたとされており、敷地南側には地震の備えとして1間の空地が設けられています。当家では代々古着商が営まれ、建築当初は、揚げ店や蔀、奈良格子と呼ばれる丸太格子などによって古式の表構えが整えられていました。戦後、商売をやめた後、表構えも含め改修が行われています。現状の正面は、出入口に格子引き違い戸が付き、出格子と小さな出格子窓を構え、庇上部の両側に袖卯建が付いています。
当町家はつしの低い町家で、内部では建築当時の平面構成がよく見て取れ、戦後の改修になる表構えも含めて、奈良の伝統的な町家の姿をよく留めています。奈良町の伝統的な町家形式を伝える建物として価値があります。