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令和5年度春季発掘調査速報展

更新日:2024年1月31日更新 印刷ページ表示

 令和5年度に実施した調査から、大安寺金堂の初めての調査成果と、伽藍配置を考えるうえで貴重な成果を得た大安寺賤院推定地の調査成果、内侍原町・高天市町で発掘調査を実施し、古墳時代から近代までの遺構・遺物を確認した、平城京跡・奈良町遺跡の調査成果について取り上げ、成果を展示発表します。

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展示内容

大安寺金堂と賤院推定地の調査

 奈良時代の筆頭官寺ともよばれる大安寺の発掘調査は、昭和29年(1954)から進められていますが、未確認であった寺院の中枢ともいうべき金堂の遺構を、今年度の調査で初めて発見できました。調査の場所は大安寺二丁目で、金堂基壇北端に位置します。調査の結果、凝灰岩製壇上積基壇であることがわかりました。基壇外装は羽目石・地覆石を確認しましたが、通常地覆石の下に設置する延石はありませんでした。また羽目石の厚さも不揃いで、奈良時代の創建当初のものではなく、寛仁元年(1017)の火災以降の再建基壇とみられます。史料では長元8年(1035)に金堂再建が完了した記事がみえることから、調査でみつかった基壇は11世紀前半のものと考えられます。このことは、平安時代後期における再建の様相を考えるうえでも、きわめて重要な発見といえます。
 特筆できる遺物としては、中央に右巻きの二つ巴紋を、その外側に蓮華紋を配する軒丸瓦があります。同笵(同じ木型で紋様をつけた)瓦は長谷寺で出土しており、天喜2年(1054)に再建された観音堂に葺かれたものと考えられています。大安寺金堂は長元8年再建されており、ここに葺かれたものとみられます。今後両者の比較検討が必要ですが、いずれにせよ、我が国最古級の巴紋軒丸瓦とみられます。

 本年度の大安寺の発掘調査ではいまひとつ重要な発見がありました。
 大安寺主要伽藍の東部は、従来「賤院」という寺の下働きの人々の居住施設と推定されていましたが、近年「禅院食堂并太衆院」という禅の道場・食堂ならびに寺務所の候補地としても注目されています。発掘調査の結果、須恵器の甕を据え付けた埋甕遺構が28基確認されるとともに、製塩土器の出土も目立ち、台所関連すなわち食堂の周辺である可能性が高まったと評価することもできます。このことは大安寺の伽藍配置を考えるうえで貴重な成果といえます。また今後、周辺の調査により、講堂に次ぐ規模をもつ、食堂の発見も期待されます。

展示では、これら大安寺に関する重要な発見があった2つの発掘調査について、出土遺物とパネルで紹介します。

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      大安寺旧境内出土​巴紋軒丸瓦​               大安寺旧境内出土須恵器甕

平城京跡(左京三条六坊十坪)・奈良町遺跡

 調査地は内侍原町および高天市町で、古代の都城遺跡の平城京跡にあたるとともに、中世以降興福寺の周辺で発達した中近世都市遺跡の奈良町遺跡の中央部にあたります。今年度行った発掘調査では、古墳・奈良・平安・鎌倉・室町・江戸時代各時期の遺構・遺物を多数確認し、当地周辺には古代〜現代までの遺跡が、重層的に存在していることを改めて確認することができました。
 特筆できる遺物として、外国で生産され我が国にもたらされた高麗青磁や華南三彩等の輸入陶磁器があります。

 これら各時代の遺構・遺物を展示し、奈良市が古墳・奈良時代だけでなく、それ以降も、南都として京都に次ぐ都市として存在していたことを出土遺物とパネルで紹介します。

 

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  出土した土師器皿、瓦器椀・皿、輸入陶磁器​  

会場

奈良市埋蔵文化財調査センター 展示室前ロビー

開催期間

令和6年3月1日(金曜日)~令和6年3月31日(日曜日)
※コロナウイルスの感染拡大の状況によって会期を変更することがあります。

開催時間

午前9時~午後5時

休館日

土曜日(3月2・9・16・23・30日)

入館料

無料

チラシダウンロード

令和5年度春季発掘調査速報展チラシ表 [JPGファイル/5.93MB]

令和5年度春季発掘調査速報展チラシ裏 [JPGファイル/4.75MB]

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