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令和3年度に実施した調査により、新たに8基の横穴墓がみつかった赤田横穴墓群の調査と、令和4年度に実施した調査により、平城京南方遺跡内で新たに発見された奈良時代の瓦窯跡の調査成果について取り上げ、成果を展示発表します。
調査地は奈良市西大寺赤田町一丁目で、西ノ京丘陵北東部の東西に延びる丘陵上に位置し、6世紀の後半から7世紀の中頃にかけて、丘陵の斜面に横穴を掘削して遺体を埋葬する横穴墓がさかんにつくられた場所として著名で、赤田横穴墓群はその一群です。
赤田横穴墓群では、これまで16基の横穴墓が確認されていましたが、令和3年度の調査により、これまでより西側に、新たに8基(17~24号墓)の横穴墓がみつかりました。
棺は17・21号墓では土師質亀甲形陶棺、18号墓では土師質円筒形陶棺、19号墓では木棺が、また21号墓では土師器長胴甕を利用した蔵骨器もみつかりました。
特筆できる副葬品としては18号墓円筒形陶棺から鹿角装刀子が、19号墓墓室入口で人物埴輪と朝顔形埴輪が、21号墓からは亀甲形陶棺の下から土師質紡錘車が、土師器長胴甕の蔵骨器から鹿角装刀子がみつかりました。
これらの出土品は古墳時代後期から飛鳥時代の奈良市北西部における埋葬形態を考えるうえで貴重です。今回の展示では令和3・4年度に接合・復元作業を完了した8基の横穴墓の出土遺物を公開します。
赤田18号墓出土土師質円筒形陶棺 赤田19号墓出土人物埴輪
調査地は奈良市北之庄町で、平城京東南角にある五徳池の南側に位置し、平城京南方遺跡に該当します。平城京南方遺跡は2005年の発掘調査により、平城京九条大路以南で条坊遺構を確認したことにより、周知されることになった奈良時代の遺跡です。
令和4年度の調査で新たに奈良時代の瓦窯を1基発見しました。瓦窯は焼成室(製品の瓦を納める部分)と煙道(煙突部分)の一部が残存していました。
焼成室は内法で幅約1.6m、長さ1.3m以上あります。焼成室南側の側壁は日干煉瓦(ひぼしれんが)を、煙道は塼(せん)を積み上げ築く点が特徴的です。
出土遺物には丸瓦・平瓦・塼・日干煉瓦があります。このうち塼・日干煉瓦には繊維が入った粘土が溶着しており、瓦窯の構築部材とわかります。瓦窯の製品とみられるものには、丸瓦・平瓦があります。
調査地北側にある五徳池は、古代には「越田池」と呼ばれ、長屋王邸北側で発見された二条大路木簡から、池の周辺に「越田瓦屋」の存在が想定されていた場所です。今回の瓦窯跡の発見は「越田瓦屋」の実在を考古資料が裏付けたものと評価できます。さらに調査地周辺には、「瓦山」や「這(灰?)登り」等の瓦窯を連想させる字名がみられ、他にも多くの瓦窯の存在が想定できます。
また、調査地周辺には「宮山」・「宮西」・「宮ノ前」等の字名もみられ、奈良時代の離宮の存在も指摘されています。二条大路木簡が、光明皇后に仕える皇后宮の木簡とされていることから、周辺一帯には皇后宮管轄の施設があった可能性もあります。従来、平城京の造瓦はその北方の奈良山丘陵で集中生産されたとみられてきましたが、平城京東南方にも造瓦拠点のひとつがあった可能性も考えられます。このように、奈良時代の政治・造瓦史を考えるうえでも貴重な成果を出土遺物・パネルで紹介します。
平城京南方遺跡出土瓦類
奈良市埋蔵文化財調査センター 展示室前ロビー
令和5年3月1日(水曜日)~令和5年3月31日(金曜日)
※コロナウイルスの感染拡大の状況によって会期を変更することがあります。
午前9時~午後5時
土曜日(3月4・11・18・25日)
無料